由禧(よしき)先生
目的地に着かない自由
2025/08/11 06:46:47
知らない駅に降り立ち、初めて見る街を歩き、見知らぬ家に迷い込む__
それらは現実に行ったことのない場所ばかりなのに、なぜか懐かしい。
目を覚ますと、あれは夢だったと気づく。
けれど、胸の奥にその空気感だけが残っている__
最近になって気づきました。
あの夢は、これまでの旅や、一人で出かけたときに感じた記憶を、
私の無意識が再編集しているのだと。
現実の場所とそっくりそのままではない。
むしろ、断片的な景色や、小さな感触のほうが鮮明に現れる__
たとえば、道端に落ちている小石や、知らない土地の夕暮れの匂い。
そのときの感情の温度だけが、正確に持ち越されているのです。
私にとってその温度は、
自由で、気楽で、少し寂しい。
でも、その寂しさは決して不安ではなく、むしろ心地よい。
誰とも話さない時間こそが、一番素の自分でいられる。
それは、完全な孤独というより「安心できる孤独」なのだと思います。
旅先で、偶然出会った人と軽く言葉を交わすことはあります。
けれど、そのやりとりは短く、さっぱりしていて、余韻だけが残る感じ。
また会うことはないだろう__それでも、そこに不足はない。
残るのはご縁をいただけた感謝だけ。
いつからか、私は人との距離に、ある一定の間隔を置くようになりました。
執着や依存をしてしまうと、
その後に訪れる別れがあまりにも重くなると知ってしまったから。
それならば、そっと笑顔だけを交わし、去っていくほうがいい。
旅に出ると、私はよく写真を撮ります。
けれど、それは記録のためではなくて。
撮った写真を見返すことは、ほとんどありません。
それでもシャッターを切るのは__
その瞬間を切り取り、心に挟み込むためなんだろうなと思います。
まるで本のページに挟む栞のように、無意識に「今」というしおりを持ち帰る。
あの時の風の匂い、足元の感触、胸の奥の温度──
すべては写真よりも深く、自分の中に残っているのです。
そして、そんな断片たちが、ある夜ふと夢の中で組み替えられ、
オリジナルの映画として映し出される。
現実の旅と夢の旅は、まるで同じ川の流れの上にある別々の橋のように、
時折、静かに交差する____
そんなふうに生きていると、
いつの間にか「目的地」に対する執着も薄れていきました。
早く着きたい、とはあまり思わない。
むしろ、移動している時間こそが、私にとっての自由の象徴。
どこかに着いてしまえば、そこはもう「途中」ではなくなってしまう。
私は、ずっと途中でいたいのだと思います。
人はたいてい、何かのゴールを目指して生きます。
安定した場所、達成したい目標、手に入れたいもの。
もちろん、それらを持つことは悪くない。
けれど、ゴールに縛られない生き方もあるのだと__最近思うようになりました。
途中の風景や出来事を、ゆっくり味わうための生き方。
その道のりこそが、私の心を軽やかに保ってくれるのかもしれません。
だから私は、夢の中でも現実でも、ずっと旅をしていたいんです。
見知らぬ駅に降り立ち、初めての街を歩き、知らない家の前で足を止める。
目的地に着かないことこそが、私の自由の証。
目的地へ向かう道の途中で立ち止まり、道端の小石をひとつ拾い上げて、ポケットにしまう。
その重みを感じながら、私はまた歩き出す。
そんなことを物心ついた時からずっと無意識に続けているように思います。
もしかすると、それが自分の奥から示されている私のワークなのかもしれません。
そんな風に、この地上のものを「愛でつくす」事が、生きる意味ならば。
それこそが与えられた永遠に枯渇しない私の宝であり、
幸福の源泉なのかもしれません。
由禧(よしき)
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- 【性別】
- 女性
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- 【鑑定歴】
- 1-2年
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- とても話しやすい
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- カメレオン憑依による心の代弁 親子問題・子供の未来、可能性のサポート 文殊菩薩が照らす導き
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