由禧(よしき)先生
自然の神さまに出会う旅E
2025/07/30 20:38:37
石の神さま──磐長姫命(イワナガヒメノミコト)と、時を超える命の記憶人は石のようには生きられません。
けれど、石は教えてくれます。
「あなたの中にも、時を超える何かがある」と──。
磐長姫命(イワナガヒメノミコト)は、古代の日本神話に登場する女神であり、
「石」の霊性を象徴する神格です。
彼女の名の「磐長(いわなが)」が意味するように、
岩や石のように永く、揺るぎない命や存在の象徴として古くから語り継がれてきました。
物語では、磐長姫命(イワナガヒメノミコト)は
妹の木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)とともに、
天孫ニニギノミコトのもとに送り出されます。
二柱の姫神の父・大山津見神は、
木花咲耶姫には「花のような美しさと儚さ」を、
磐長姫には「岩のような永遠の命」を託していたとされます。
しかし、ニニギは磐長姫を「容姿が醜い」として送り返し、
木花咲耶姫だけを妻に迎えました。
この決断により、
「天孫(人間)は花のように美しく生き、やがて散る運命を持った」
とされる神話的因縁が生まれました。
けれど、私は思います。
本当に、磐長姫命は「醜い」存在だったのでしょうか?
神話の表層に描かれた「容姿の差異」は、
実のところ、霊性や価値観の違いを象徴しているのではないでしょうか。
妹・木花咲耶姫が春の花のような、華やかで一瞬の美を象徴するのに対し、
磐長姫命は、時間を超えて存在し続ける「根源的な命」を担っていたのです。
実際、古代の人々は石をただの物質としてではなく、
「神が宿る依代(よりしろ)」と見なしていました。
山や岩そのものが神として祀られた「磐座(いわくら)信仰」
はその最たる例です。
神社が建つ以前から、自然物そのものに霊性を見出していた日本の文化において、
石とは「永遠と沈黙の記憶体」であり、
「人知を超えた存在と繋がる窓口」でもありました。
磐長姫命の「美しくない」とされた姿は、
表面的な感覚では測れない、重みや深さ、
命の記憶そのものであったのかもしれません。
見捨てられたと思われたその命は、
実は大地の奥深くで、すべての命を支えている。
そして今、風の時代──
目まぐるしく情報が交差し、
見た目や瞬発的な魅力がもてはやされる時代にあって、
磐長姫命の持つ霊性は、まさに「裏を支える力」として
再び必要とされているように感じます。
風は流れをつくります。
けれど、流れには「芯」が必要です。
芯を失えば、風はただの暴風となり、すべてを吹き飛ばしてしまいます。
この時代に必要なのは、目に見えるものを追うだけではなく、
目に見えない「根」を思い出すこと。
自分の奥深くにある、静かにずっと在り続けているものに
気づくことではないでしょうか。
磐座は、そこに「在る」だけで信仰されました。
石は語らず、ただそこにあることで、
私たちの「内なる時間」を呼び覚ましてくれます。
人の意識を、今この瞬間から遥か過去へ、
そして未来へと繋げてくれる存在。
それが石であり、磐長姫命が託された「永遠の命」の意味なのです。
永遠の命は、変わらない姿ではなく、
変わりゆくものを支える力の中に宿っている。
それは、人間が長らく忘れてきた「静かな強さ」。
決して表には出てこないけれど、確かに存在し、
すべての循環を裏から支えている力。
まるで、大地の奥で静かに脈打ち続ける鉱脈のように──。
磐長姫命は、表面ではなく、根源を見る力を与えてくれます。
見た目の「美しさ」ではなく、
魂の「強さ」や「記憶」に価値を置く時代へ。
それはもしかすると、
私たち一人ひとりの中に眠る「石の記憶」、
そして「揺るがぬ魂の軸」を思い出す旅なのかもしれません。
磐長姫命の目覚めは、風の時代を内側から支える、静かな革命。
人はすべてを持っていなくても、すべてを創ることができます。
なぜなら、私たちの中にはすでに、
永遠と繋がる「石のような力」が、静かに息づいているからです。
自分の内側を信じて、力強く、静かに__
「創造」の種をまいていきたい。
そんな風にしみじみと思う今日この頃です。
由禧(よしき)
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