由禧(よしき)先生
自然の神さまに出会う旅A
2025/07/26 20:10:57
水の神さまのささやき ー 流れゆく感情とともにある日、何気なく訪れた渓流のほとりで、岩に腰かけて水の流れを見つめていました。
透明な水が音を立てながら、石にぶつかり、泡立ち、
また静かに流れていく様子を見ていると、
胸の奥でずっと滞っていた何かが、ふっと動き出すのを感じたのです。
涙がこぼれました。
それは悲しいからでも、嬉しいからでもなく、
ただ、「流れていい」と言われたような気がしたから。
【弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)という存在】
日本神話に登場する「弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)」は、
水の流れそのものを司る神さまです。
「水をつかさどる女神」とも、「禊ぎ祓いの神」ともいわれ、
古来より人々のけがれや痛み、
そして言葉にならない「なにか」を、そっと流してきた存在です。
「神」と聞くと何か特別なもののように思えるかもしれません。
でも、彼女の本質はむしろとても身近で、私たちの日常のすぐそばにあるもの。
川のせせらぎ、雨のしずく、風呂場で手に取る一杯の水、
そういったすべての「流れるもの」に宿っているのだと思います。
【感情は、流れる水のようなもの】
私たちの感情も、実は水とよく似ています。
怒りも悲しみも、喜びも。
それは「心の中に湧く水」みたいなものです。
湧いてきた感情を、そのまま流してやれば自然に浄化されていく。
でも、抑え込んだり、見ないふりをして留めておくと、
それはやがて澱み、濁り、腐ってしまうこともあるのです。
私たちはつい、「こんな感情を持ってはいけない」とか
「ちゃんと整理してからでないと話せない」と思いがちです。
でも水は、理由なんてなくてもただ流れていい。
そう教えてくれるのが、弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)なのかもしれません。
【「流す」ことと「忘れる」ことは違う】
ある時、私は自分の感情に溺れそうになったことがありました。
家族のことで、子どものことで、言葉にできない葛藤が渦巻いていたときです。
「こんな風に感じている自分は、母としてどうなんだろう」
「もっと強くならなきゃいけないのに」
そう思うたびに、自分を責め、感情を押し込めていました。
でも、ふと立ち寄った神社の手水舎で、手を水に浸したとき、
身体の奥からこんな声が聞こえたのです。
「あなたの感じていることは、水のように流していいのです」
「流すことは、逃げることではありません」
「それはあなたを再び生き返らせるものです」
その言葉は、確かに弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)から届いたものだと、
私は今でも思っています。
【 感情に「意味」や「価値」を求めすぎない】
私たちは、感情に「正しさ」や「意味」を与えようとしがちです。
「この怒りは正当なものなのか」
「こんな悲しみを感じるなんて弱いのか」
でも、水に「正しさ」はありません。
水はただ、低いところへ流れ、形を変え、
それでもなお清らかに在り続けるもの。
感情も同じように、流れていけばいい。
どこかに届くことを目指さなくても、
「感じて、流す」だけで、それは十分に神聖なのです。
【日常の中で、感情を水とともに扱う】
◎ 朝、コップ一杯の水を飲むとき
→「今日の自分に優しくしよう」と静かに願ってみる
◎ シャワーを浴びるとき
→「今の気持ち、全部流れていいよ」と自分に声をかけてみる
◎ 雨の日、外を歩くとき
→「天からの禊ぎ」として受け取ってみる
水の神さまとつながる方法は、何も特別な儀式ではありません。
あなたの感情にそっと寄り添うように、「水」とともにあるだけでいいのです。
【水の神さまのささやき】
「感情は流れるもの。
止めることは、あなた自身を傷つけることになります。
でも、流れることを許すなら、
あなたの中に再び、命の泉が湧き上がるでしょう」
「わたしは、あなたの涙の中にいます。
あなたが流す涙のすべてに、
意味があるのだと信じて、今日もそばにいます」
感情をどう扱えばいいのか、分からなくなるときは、
弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)のもとへ帰ってみてください。
それは、あなた自身の「本来の流れ」に戻る旅になるはずです。
…感情の流れを許したとき、
私の中にふと、「これからどう生きたいのか」という問いが立ち上がりました。
それは、小さくゆらめく、けれど確かに熱をもった火のような感覚。
次回は、そんな内なる火――
「火の神さま」との出会いについて、綴ってみたいと思います。
由禧(よしき)
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